成蹊大学混声合唱団を、長年にわたり合唱連盟『虹の会』を通じて、ご指導をいただきました田中信昭先生が去る9月12日に亡くなられました。
田中先生は、私たちの活動に多大な影響を与え、多くの団員がその深い知識と情熱に支えられました。田中先生の御冥福を心よりお祈り申し上げるとともに、そのご功績を偲び、感謝致します。
参照:【訃報/東京混声合唱団】
https://toukon1956.com/%e8%a8%83%e5%a0%b1-2/
合唱連盟 虹の会は1973年に、武蔵大学合唱団リーデルクランツ(2022年度時休団中)、成城大学合唱団、成蹊大学混声合唱団によって結成されました(初代合唱連盟虹の会常任委員長は、成蹊大学混声合唱団の間瀬正明氏)。
合唱連盟 虹の会が結成される以前は、上記の3団体に、成蹊大学グリークラブ(2022年度時休団中)、学習院大学輔仁会音楽部男声合唱団を加えた5団体による四大学ジョイントコンサートが開かれていました(1970~1973年)。しかし、これは合同体育会(四大学運動競技大会)等で関係の深かった4大学の合唱団が一緒にコンサートを開いたという程度のもので、ステージは各団体の演奏だけで構成され、第4回四大学ジョイントコンサートの「ハレルヤ」を除いて、合同曲は演奏されていませんでした。又、演奏会による連帯であった為、当然の事ながら団体間の結びつきも弱く、やがて解散してしまったのです。
さて、合唱連盟 虹の会はその後上記の3団体によって結成されたものですが、決してジョイントコンサートの再結成として誕生したのではありません。合唱連盟 虹の会の目的は、最終的にひとつの合唱団をつくる事です。つまり、団体に所属している個人が、合唱を媒介として、お互いの団体枠を超えて結びつき、新たにひとつの大きな合唱団を構成する事によって、より広い親睦と音楽技術の向上を図ろうというものなのです。合唱連盟 虹の会は個人の集合としてひとつになったものであって、団体単位が結びついた形(ジョイントコンサート)ではないのです。これは校歌演奏の場面や田中信昭先生のステージを見ていただければわかると思いますが、3種類のステージコート、ステージドレスが混ざり合ってオンステしたり、共通のテーマに沿った各個人のカジュアルコーデでオンステすることによって合唱連盟 虹の会の主旨を、又、ひとつの歌声というものを知っていただきたいからなのです。
さて、合唱連盟 虹の会を語るのにもうひとつ忘れてならないのは第3回定期演奏会以後、前衛曲・現代曲をとりあげてきている事です。「念仏踊(柴田南雄作曲)」、「死者の書(野田暉行作曲)」、「変化嘆永(三善晃作曲)」、「花伝書(柴田南雄作曲)」、「暁の讃歌(松村禎三作曲)」(いずれもアマチュア初演)、「青い剣の歌(高橋悠治作曲)」、「歌垣(柴田南雄作曲)」、「ぽく(三善晃作曲)」、「あなた(三善晃作曲)」、「呼びかけ(一柳慧作曲)」、「遠い島の友へ・・・(高橋悠治作曲)」、「マドリガルⅣ(小鍛冶邦隆作曲)」、「Z境(篠田昌伸作曲)」、「恋するルバイヤート(鈴木純明作曲)」、「邪宗門秘曲(西村朗作曲)」、「黙礼スル 第1番(新実徳英作曲)」、「挽歌(妻との別れ) 柿本人麻呂二首(野平一郎作曲)」(いずれも委嘱新作初演)と、前衛曲・現代曲は、合唱連盟 虹の会の音楽傾向として定着した感があります。もとより前衛音楽・現代音楽と関わりの少なかった私達(多くは大学で初めて学生合唱に取り組んだ学生)にとって初めのうち戸惑いがあったことは言うまでもありません、しかし、技術的に、又、理解するうえで非常に難解であると思われていた前衛曲・現代曲が田中信昭先生の御指導のもと、見事にまとめあげられてゆく時の興奮・感覚は、一度経験したら忘れられないものなのです。また、これらの曲は、この後に、成蹊大学混声合唱団や東京混声合唱団などで再演されてきました。是非、合唱連盟 虹の会が委嘱した作品を次世代や他団体に歌い継いで頂き、その活動の記憶が輝き続けて欲しいと思います。